ウェビナー #31 : 神様からの贈り物 ‐ 思春期

「神様からの贈り物―思春期」

今回のテーマは思春期についてです。

なぜ思春期について話すのか?ほとんどの一世達は若くても50歳前後です。二世達も大学生とか社会人になっています。

なんで今頃、思春期なのだと思われるかもしれませんが、思春期というのは神様にとって特別なものだからです。

ご存知のようにアダムとエバが堕落したのが長生期の完成級でした。つまりアダムとエバが思春期の時でした。

堕落前のアダムとエバがどんなに美しく輝いていたかは容易に想像できると思います。

神様もそんなアダムとエバをご覧になり、どれほど幸せであったかも容易に想像できると思います。

ところが堕落により全てが失われてしまいました。神様にとってアダムとエバの思春期は悲しみの始まりであり復帰の始まりとなりました。

私は復帰摂理とはいかに本然の思春期を復帰するかがカギではないかと本気で考えています。


思春期を英語でアドレスセンスADOLESCENCEといいます。私は丁寧にスペルのアルファベットごとに思春期について説明されているのを見つけました。

思春期とはどういうものかを理解するのにわかりやすいと思いますので、最初にシェアしたいと思います。

  1. Ambivalence アンビバレンス

これは両面感情とか両面価値という意味です。つまり相反する感情を同時に持つという意味です。

体は急激に成長しますが精神的にはまだ幼さがあります。大人の世界と子供の世界の中間を彷徨のが思春期の子供達です。

そのため気分屋で感情的になります。精神的に不安定で常に揺れ動いているのが思春期の特徴です。


D – Distancing Parents ディスタンスペアレント

これは親離れのことです。

親に対して魅力を感じなくなります。

「仲間の親」と呼ばれ仲間が親の代わりになります。仲間と同じ音楽を聴き同じような洋服を着て同じ髪型にします。親以上に仲間と過ごす時間が多くなります。

これは防衛手段でもあるわけです。

一人だけ浮いてしまわないように周りに合わせます。そうしないと仲間から笑い物にされ村八分にされてしまうからです。

親から離れようとするのだけれども同時に親からの愛情に敏感なのもこの時期の特徴です。


O – Occupation オキュペイション 職業です。

10代になると将来のこと特に職業についての不安を持つようになります。

大人になったら何になるのか?なぜかというと

思春期では自分自身の性格とか長所や短所、能力、才能とかが把握できていないからです。

ほとんどの子ども達は現実的な条件を優先しがちです。たとえば親の職業と同じ道を選ぼうとします。医者、会計士、教育者、看護師、弁護士、政治家などがいい例です。

学力で言えば得意な科目で進路を優先しがちです。理系であるとか文系であるとかです。

親として大切なことは子供の進路を親が決めないことです。大切なことは存在能力、可能性があることを言い聞かせることです。

余談ですが、若い頃にこんな夢を見ました。

私の実家の前に大通りがあるのですが、私が歩いていると前の方をお父様とお母様が手を繋いで歩いておられました。まさか何でこんなところにご父母様がいるはずないだろうと思ったのですが、間違いなく御父母様でした。ご挨拶をしなければと思い駆け寄って、挨拶をしました。お父様が「そうか、じゃ案内しなさい」とおっしゃったのですが私は「こんな田舎見るところありません」と言うとなぜか「あんたが通った学校を見たい」とおっしゃるので学校をご案内した後にお母様が「コーヒーでも飲みましょう?」とおっしゃり。私は困りました。こんな田舎にそんな洒落たところなかったからです。

でもさすが夢です。いつの間にか見たこともないカフェに座っていました。

そこで私はいい機会だと思いお父様に聞いてみました。

私はどんな分野に進んだら良いのでしょうか?

するとお父様は手を見せなさいとおっしゃるので手を差し出すと私の手を握りながら「君は器用な手をしている何をやっても成功する」

私が嬉しかったのは、君はこう言う方面に行ったらいいとかでなく君は何でもできると言ってくださった事です。

お子さんの可能性を信じてあげてください。


L – Lone lines これは孤独という意味です。

思春期にどんなに友達が沢山いたとしても何百人とS N Sで繋がっていたとしても実の兄弟姉妹が4人5人いたとしても心の中は空虚感で占められています。

なぜかというと自分は一体何者なのか知りません。おまけに親離れすることにより親は僕のことなど理解していないと思っています。

かといって友達が理解してくれるかというと心の奥までは理解してくれません。

二週間前にこんな内容の映画を観ました。高校生の女の子が交通事故にあい記憶喪失になります。学校に行き親友だという女の子達から話を聞たり親からの話を聞くと勉強がよくできサッカーも活躍していたし人間性もよく、いわゆる評判のいい子であったわけです。

ある日、部屋の模様替えをしていた時にベットの下に隠してあった日記帳を見つけました。書かれてある内容は、友人や親から聞かされた事とは程遠い本人の心の奥深くで悩み苦しむ誰にも言えない真実が書かれてありました。

このことも思春期の子供達の特徴です。


E – Ego Identity エゴアイデンティティこれは自我つまり自分自身についてです。思春期になると自意識が芽生えます。

自分自身について考えるようになります。

「僕は一体、誰なのだ?何のために生きているのか?人生の目的は?」などと考え始めます。

読む本も文学や哲学の本を読み始めます。

同時に自分自身の中に「自立したい自分」と「親に甘えたい自分」また「理想の自分」と「現実の自分」が常に葛藤するのも特徴です。


S – Sexual Exploration セクシャル、イクスプロレイション性への探検という意味です。思春期の大きな特徴が性に対する興味です。

男の子も女の子も体が大人並みに成長します。男の子は夢精を経験したりポルノを見始めたりマスターベーションを覚えるのもこの時期です。女の子は小学生高学年で初潮が始まり女の子もポルノを見始めマスターべーションを経験します。男の子も女の子も異性に興味を持ち始めます。中高生のセックスは珍しいことではありません。

冒頭で思春期が神様の恩讐になってしまったと言いましたがサタンにとっても譲れないのが人間の思春期なのです。

いかに堕落させ神様との関係を切り離そうと性的なことを武器に巧みに惑わしてきます。

性に関しては2世の子供達が信仰を失う間接的な理由にもなっていますので後ほど詳しく説明します。


C – Conceptualization コンセプチュアリゼションこれは概念という意味です。

思春期になると理想を求たり夢を描きたがります。

自分自身をアイドルやスターとかスーパーヒーローに置き換え夢中になります。思春期の後半

になると世界平和とか理想世界を思い描くようになります。宗教や哲学や政治に興味を持ち始め新興宗教や左翼運動、社会運動やボランティアなどの活動に興味を持つようになります。


E – Egocentric thinking イゴセントリックシンキング自分中心的思考という意味です。思春期における自分中心的思考とはどうゆう事かというと「みんなが僕をみている」と過剰に思い込んでいるという事です。

つまり他人の目とか他人は僕のことをどう考えているのかどう見ているのか気になるという事です。


N – Narcissism ナルシズム

思春期の子供たちは女の子も男の子もナルシストです。鏡に映る自分にうっとりし何時間も鏡から離れません。自己意識の過剰な表れからです。自分で撮った写真を毎日S N S上にアップします。グループ写真も他人などどうでもいいのです。自分がどのように写っているかだけに興味があります。


C – Communication コミュニケーション

親とは話しがらなくても友達同士ではしょっちゅう話したがります。自意識が強く芽生えると同時に先ほど言いましたように孤独であるため不安な気持ちから常に誰かにつながっていたいことを望みます。S N Sを手放せないのはそのためです。


E- Experimentation 実験とか試みるということです。

新しく芽生えた自我から、さらに新しい自分を求めて色々と試みトライ挑戦します。

思春期の子供達は親の生き方、価値観や世の中の風潮に反することを選びます。例えば親が宗教に一生懸命だとあえて無神論なリベラルな考えを持つ子になります。これは逆も然りです。親が無神論者だと信仰や宗教に興味を持つようになります。

親が働き者だと子供は怠け者になりやすいとか、親が真面目だと子供は非行に走りやすいと言います。

このように様々な体験、挑戦を通して新しい自分を確立させようとします。


以上が思春期に関する簡単な説明ですが、もう一つ思春期の特徴としてあるのが反抗期です。

大人と子供の中間にあり自分の気持ちを的確に伝えることができません。

常にモヤモヤし誰も自分のことをわかってくれないと苛立っています。

自分でもどうしていいのかわからず反抗という形でモヤモヤ、焦り、苛立ち、怒りを表現するようになります。


代表的な反抗には3つのタイプがあります。まずは初期の段階としてあるのが“話しかけても答えがない場合です。返事をしても“別に、さあ“などの気のない返事です。5割がこのタイプだそうです。


次はケンカ闘争タイプ、と言っても様々です。ドアを思いっきり閉めるとか怒鳴る叫ぶとか大暴れするなどです。

このような子との対処の仕方は、こんなガキに負けてたまるかと戦闘モードになってはいけません「子供と同じ土俵に上がらないこと」と「力で押さえつけようとしないことです」


三つ目は反抗期がほとんどない子です。最近はこういう子が増えています。実際に申し分のない子で反抗期がないのであればいいのです。ただ親の顔色を伺う、いわゆるいい子を演じているとしたら問題であると言えます。

その辺を注意深く見極めることが大切です。ついつい安心していると後で取り返しのつかないことになりかねません。


以上が思春期についての特徴です。

皆さんはなぜ神様は人間に思春期を与えたのかと悩まれた事があるのではないかと思います。

それほど当の子供達は辛い体験をしますし親達も葛藤し悩まされます。

でも、このことをよく理解できたら思春期をどのように過ごしたらいいのか思春期の子供達にどのように接していったら良いのかが理解できると思います。


創造原理でいう間接主管圏が思春期に該当します。私たちはこう学びました。

「人間自身の主管性や自律性だけでなく責任分担を全うしながら、この期間を経過して完成するように創造された。人間が完成するか否かは人間自身の責任遂行いかんによっても決定せれる」

神様は人間の責任分担に対して一切干渉されず、その結果のみを見て主管なさるということです。


さらに原理講論にこう書いてあります。アダムが創造目的を完成するためには、二つの条件を立てなければならなかった。第一条件は「信仰基台」を造成することであった。「信仰基台」を造成するための条件としてアダムは善悪の果を食べてはならないと言われた神のみ言葉を守るべきであり、この信仰条件を立てて、その責任分担を完遂するところの成長期間を経なければならなかった。


第二の条件はアダムが「実体基台」を造成することであった。「信仰基台」を立てることができたならばアダムはその基台の上で神と一体となり「実体基台」を造成することにより創造本性を完成した、み言葉の「実体完成」となり得たはずであった。


間接主官圏において第一祝福を完成するまで神様はアダムに一言、戒めを与えただけで、手も口も出さず一切干渉されませんでした。

アダムとエバは第一祝福を完成するまで自力で完成しなければなりませんでした。

神様はああしなさい、こうしなさい、右に行きなさい、左に行きなさい、など教えてくれませんでした。


第一祝福の完成は個人的な四位基代を造成する事です。先ほど、アダムは信仰基台の上で神と一体となり実体基台を造成することにより創造本性を完成し、み言葉の実体完成となり得たはずであった。

と原理講論に書かれてあります。これは間接主管圏での話です。神様は、まだ干渉されておられない状態です。

ということはアダムは自分自身でみ言葉の実体となって完成しなければならなかったわけです。


アダムがみ言葉の実態となっていたら、どんな境地になったのかというとイエス様が的確なことをおっしゃいました。「我を見し者は父を見し者である。私を見た者は父を見たのである。私が父におり父が私におられることをあなたは信じないのか。」このような境地、心境を復帰して個人的四位基台の完成、第一祝福が成就なされたと思われます。


理解しやすい例をあげたいと思います。皆さんが飛行機の操縦ライセンスをとって自由に空を飛び回りたいとします。

いきなり飛ぶことはできません。飛行学校に通わなければなりません。セスナのような自家用飛行機のライセンスを取るには早くて6ヶ月から1年くらいはかかるそうです。この間、飛行機はどうなっているのか、どうやって飛ぶのか、それ以外にも空の法律、通信、電気電子、気象についてとかナビゲーションなどを学びシミュレーションそしてインストラクターと一緒に飛行練習をします。

その間に学科試験、実技試験に合格しなければなりません。そして晴れて自由に空を飛ぶことができるようになります。

言われたことを自分の努力で従順に守って学び実践します。一つひとつをクリアし試験に合格し念願を叶えるのです。

第一祝福の信仰基台、実体基台とはこのようなことだと言えます。


それではこの事を思春期に適応したならどうなるのか考えてみましょう。

参考になるのが以前、話したことのあるアーミッシュの“ラムスプリン”という伝統です。アーミッシュのコミュニティーは今でも電気、車のない生活をしています。ラムスプリンとはドイツ語で放蕩息子の放蕩という意味です。16歳になると3年間アーミッシュの習慣や決まり事から解放され文字どおり放蕩三昧、酒、タバコ、ドラッグ、なんでも自由にやりたい放題です。


ラムスプリンの期間中、親は子供達に口出しはしてはならないという決まりがあります。

口出ししてはいけないとは酒を飲んだ、タバコを吸った、化粧をした、ミニスカートを履いたとかに関しては口出し禁止ですが話をしてはいけないとか話を聞いてはいけないという意味ではありません。


よく話を聞いてあげても必要以上の事は話しません。私、勝手の考えですが親達はラムスプリンガの本来の目的、内的目的が何であるかをよく理解しているのだと思います。

この期間に子ども達は親の助けを借りずに親から教えたれた信仰でなく自分自身で信仰とは神は本当に存在するのか善とは悪とは自分の価値人生の目的などを自分自身で解答を見つける事です。これが内的な大事な目的なのではないかと思います。

外的に見ると自由でいいなあと羨ましがられるかもしれませんが何物にも誰からも束縛されないがゆえに葛藤し闘いながらも真実な生き方を暗中模索しながら発見していくことができるのだと思います。

ドイツにアウトバーンという無制限で走れる高速道路があります。平均時速は200マイルで飛ばすそうです。興味深いことにほとんど事故がないらしいです。

これも同じ理由だと思います。あえて自由に解放することで、規則で束縛されず思いっきり運転できるのだと思います。

その方がむしろ各自が真剣に責任を持って運転するようになるのだと思います。


これも私の勝手な予想ですがおそらくアーミッシュの子ども達はたとえなんでも自由にやれてもほとんどの子ども達は手を出していないのではないかと思います。

なぜならば彼らはラムスプリングの本当の意味と目的を理解しているからだと思います。同じように思春期の目的と意味を良く理解したならば大人になっていく過程において欠かせない重要な期間であると言えます。


それでは思春期における信仰と性の関してお話ししたいと思います。

親から教えられた神様でなく自分自身の神様を発見しなければなりません。

一世の場合は人生に悩み、生きがいを求め、真理を求めて教会に出会いました。

よって原理に感動し救われた実感を持ち全てを捨てて献身しました。


二世の場合、人生に悩み自分から真理を探求し原理に出会ったのではなく生まれながらにして教会の中にあるわけです。

小学生までは子ども達は従順に親についてきます。なんでも素直に言うことを聞きます。

10歳12歳の子供達が信じる神様はお父さんお母さんの信じる神様です。

思春期の親離れは同時に神様、離れでもあるのです。特に男の子は自我の目覚めと共に自分の世界の中で生きたがります。

1世の人達には信仰の原点になるものがありますが2世にはありません。

だからと言って必要ないという事ではありません。思春期において信仰の原点となるような体験をすることが大切です。

なぜかと言うと堕落世界を正しく健全に生きるためです。

2世の多くが大学の一年の一学期が終わる頃には信仰を失っています。

そうならないためにも信仰の原点となるような体験が思春期の時にできるように努めていただきたいともいます。

でも二世の信仰の原点とは私たち1世のものとは全く性質の異なるものです。

二世達をみて感じさせられることは実に本性的であるということです。今まで私達は二世の子供達が持つ本性的、本然的なものを生かしてあげられなかったと思われます。


イエス様は信仰と希望と愛はいつまでも存続するものであるといいました。信仰とは希望や愛と同等なものなのです。本来、信仰とは明るく喜び溢れる本然的なものなのです。

決して我慢するものでも恐怖心からでも嫌々するとか義理でするもので個人の利益のためでもないと思います。

本心から喜んでするものではないでしょうか、だからこそいつまでも存続するものだと思います。

二世達はこのような本性的な信仰を自然に持てる素質を持っているのです。

ではどのようにして創造本然的な信仰を育むことができるのか?それは家族です。

以前お話ししましたが子供達にとっての最高の教育はお父さんお母さんが仲良く信頼し、尊敬し合うことです。なぜかと言うと、そんな親に育てられる子供達は子供らしく健やかに自由に伸び伸びと成長できるからです。

原理で言う長生期を思春期とすると幼少期、小学期は蘇生期に該当すると思います。

蘇生期も神様から与えられた大事な期間です。この期間にお父さんの愛、お母さんの愛を存分に子供達に注ぎます。そして親子の愛着を深めていきます。

このことは思春期に向かう子供達にとって欠かせない大切なことです。

健全な親子関係の上に神様との関係も育まれるものです。

私たちは一生懸命、子供達に原理を教えました。原理さえ一通り聞かせれば何とかなると過信してきました。実際、子供達は何度も修練会に参加して原理を聞きました。

原理を理解できていないと言うのではなく原理が生活化されず信仰生活に生かすことができていません。

なぜかというと子供達は家庭の中で信仰が培われていないと言う事と家族がうまく機能していないからです。

そんな環境では子供達に何度も原理を聞かせたとしても信仰が育ちません。

そうゆう意味でも正しい信仰の下地を作ってあげるのが家庭であると言えます。

そんな家庭の中で培われる信仰感は受動的で受身な信仰感でも条件的なものでなく自由で開放的な信仰感です。


余談になりますが私の次男は10年以上本部の家庭部で働いてきました。彼は祝福を受ける二世達のほとんどが祝福の意義と価値を理解していないと言っていました。

もちろん祝福修練会では講義を聞いていてもです。ではなぜ祝福を受けるのか、親のためだというのです、親に喜んでもらいたい安心してもらいたいからだそうです。

ここにも親子関係の重要な理由があります。家庭を持ち夫婦でお互い苦労し支えあい子供を授かり人生を通して祝福の素晴らしさを後で実感できるようになるとも言っていました。


脇道にそれましたが竹のようにまっすぐにスムーズに育ってくれないのが思春期の特徴です。


必ず悩みます。挫折を体験します。悔しさや悲しみを味わいます。間違いや失敗はしょっちゅうです。未熟であるから当然です。

でも思春期のメリットはやり直しができ修正が可能であり立ち直ることができることです。

親離れすることは人間として成長し、人格を形成する上で欠かせない大切なことなのです。

親の心構えとして知っておいてほしいことは、思春期の子供達は親から押し付けられた信仰感や価値観でなく自分自身で新しい価値観を発見し形成していきたいのです。

親として大切なことは先回りして解答を与えてしまうとか安全で安易な生き方をさせないことです。

かと言って厳しくしなさいというのではありません。

子供達の話に共感してあげて聞き役に徹することです。子供達の辛さや悲しみを受け止めてあげると、子供達は気持ちを理解してくれている気持ちが通じていると思い信頼してくれるようになるものです。


思春期の子ども達が避けて通れないのが性に関する悩みです。

エデンの園でルーシェルがエバを誘惑しました。これは6千年前だけの出来事ではなく祝福2世は思春期になると例外なく誰もが耳に聞こえてきます。

「誰がポルノを見るなと言たんだい?」

「周りを見てみなさい、みんな見ているではないか?」

「同じ2世達のほとんどが見ているよ。」

「ポルノを見たらあなたの世界が大きく広がる、大人のようになれるよ。」

「マスターベーションしちゃいけないって、一体、誰がそんな馬鹿なこと言ったんだね?」「世の中では自然で健康的なことだと薦めているじゃないか?」

「君はもう子どもじゃないんだから、自分で判断できるじゃないかね。」

「えっ、男の子と付き合っていけないって、話をするぐらい構わないじゃないか?」

このような声なき声が聞こえてきます。


先ほど、説明しましたが思春期の子供達はどんなにたくさんの友達がいたとしても心は孤独です。

親から離れていくと親は自分のことを理解してくれないと寂しい思いを友達で穴埋めしようとしても心深くは理解などしてくれません。おまけに寂しい思いだけでなく、本心はもっと愛されたいと願っています。

これこそ霊的堕落の動機と経路に通じることです。そして先ほどの言葉が現実のものとなって耳にはっきりと聞こえてきます。

「ちょっとだけ見てもいいじゃないか?」

「一回ぐらいマスターベーションしてもいいじゃないか?」

「話をするくらいだから、付き合っても構わないではないか?」 

こうやってパンドラの箱が開けられてしまうのです。


ポルノに関しては、どうやったらうちの子をポルノから守れるか?
という考えは捨てなければなりません。

正直、スマホを持っている限り不可能に等しいことだからです。

スマホを持っている=ポルノを見たことがある。見ているという認識を持った方が現実的です。

これからはうちの子は見ていた。見ていると思って取り組むことの方が賢明だと思います。

取り組方次第では、ハシカにかかった、とか一時的に共産主義思想に夢中になる程度で済むことができるからです。

それからポルノは男の子だけのものという概念は捨てた方がいいです。

女の子のポルノ依存症に対する対処が遅れているのは、なぜかというと、まさか女の子がポルノを見ているはずはないという偏見が対処を遅らせ、いつの間にかたくさんの女の子のポルノ依存症を増進させてしまっているのです。

これからは男の子と女の子を同等に見ていかないといけないと思います。今日、現代はそんな時代だということです。


二週間前にある2世の男性から相談があると電話をもらいました。二世と言っても40を超えています。相対者から中学生の次男がポルノを見ているようなので話してほしいと言われ、話してみたら正直にポルノを見ていることを告白してくれたそうです。彼はまさかと思いやはり中学生の長男にも聞いてみました。

ポルノは見ていないがマスターベイションはしていると告白したそうです。

皆さん中学生の三世です。私はショックでその晩は眠れませんでした。

ここにも偏見があります。8歳、10歳まさかこんな年齢でポルノなんか見ることはないだろうとほとんどの親は思っています。

ましてや祝福の三世がそんな事あるはずはないと信じています。サタンは巧みです。まさかと思うような形で子供達が好きなアニメやゲームの中に性的な描写を入れ込んでいます。

わずか数秒でいいのです。

たったひとコマでいいのです。それを何度も何度もくりかし見せることでポルノへと導くのが目的なのです。ポルノの弊害は二世だけのものではなく三世へと移行しつつあります。

ポルノに対する対策を真剣に考える必要性があります。


私は思春期の子供達に性欲について説明する時になるべく簡単にわかりやすく説明します。

以前、性欲VS情欲のウエビナーのなかで説明しましたがアダムとエバの堕落の結果、心と体が分離し心が神側、体がサタン側と二人の主人に使える中間位置に置かれたのが私たち堕落人間です。

神側に属するものとサタン側に属するものとを分けて捉えます。


本心に対して邪心。

善に対して悪。

本性的に対して本能的。

心情的、心霊的に対して肉体的。

自他的に対して自己的。

聖なるものに対して俗的。

光に対して影。

絶対性に対してフリーセックス。

純潔に対して不純。

ピュアウォーターに対してマッディーウォーター。

そして神側に属するのが性欲です。

サタン側に属するのが情欲です。

堕落する前のアダムとエバには性欲しかありませんでした。情欲は堕落後に生じたものです。聖書に性欲という言葉は書かれていません情欲とか淫らな思いとか悪なる欲望としか書かれてありません。仏教でも肉欲とか色欲としか教えていません。


こんな話があります。インディアンの酋長が孫にこんな話をしました。

人間の心には2匹の狼が住んでいる。善なる狼と悪なる狼である。

それに対して孫が質問します。どちらの狼が勝つのですか。それに対してお前が養った方だと答えます。


同じように性欲も情欲も育ち育まれるものなのです。どちらを養うかです。どのようにすべきであるかは本人が自分で考え性欲を養う努力をしてほしいと思います。

ポルノを見続けている限り情欲は育っても性欲は育たないどころか情欲に蹂躙されてしまいます。わかりやすく説明すると性欲を中心にすると、ちょうどその周りを囲んでいるのが情欲だと思ったらわかりやすいと思います。

このことからもポルノをやめることの重要さが理解できると思います。

性欲と情欲をわけて説明し性欲は神様から与えられた尊いものである。だから大事に守り育むものであることを教えるようにしています。


先ほどお話しした。アーミッシュの子供達は16歳から18歳までの3年間、好き放題になんでも自由にできます。私が思うに、もう一つ別の理由があるのだと思います。それは子供達が罪悪感や罪意識に悩まされないようにする為だと思います。決まりや規則で縛られるといざ間違いや失敗をすると罪の思いで苦しむものです。

それをあえて禁じられていることを自由にさせることで罪悪感を払拭させようとしたのだと思います。

私たちは性に関してほとんど話すことはありませんが純血に関してはやたらとやかましく厳しいところがあります。

先ほどのアウトバーンの話ではないですが

むしろあんまり口うるさく言わない方が効果的かもしれません。その方が子供達の方が自覚し責任を持てるのではないかと思います。

そして性に関して偏見や歪んだ思い込みでなく正しく理解することが大切です。

そうしないと大人になっても家庭を持ってもセックスに対して恥ずかしいもの怖いもの汚いもの、いやらしいものだという偏見を払拭することができなくなります。同時に罪悪感に苦しめられます。


だからこそ思春期の時に正しく性について理解し神様がくださった性欲をセクシャルインテグリティーの精神で守り正しく育むことが大切です。


そのためにも親の存在が重要です。親としてお子さんの過ちを責たり裁くのでなく暖かく見守り間違いから何かを学び成長できるように後押ししてほしいと思います。

ポジティブで美しく明るいイメージが持てるようにしていただきたいと思います。

そのためにも親が心を開いてお互い話し合いことが大事です。皆さんの失敗談とか話してあげると子供達は安心感を持てるしむしろ親密感を持ってくれます。

どうして親子でオープンに話し合うことが大事であるかと言うと。


たとえば教会でセックスの話、歓迎されますか?ポルノのポだけでもいやがれます。マスベーションも然りです。LGBTの話などしたら追い出されてしまいます。性に関することは禁句になっています。

では子供達はどこに相談したらいいのでしょうか?学校の友達に聞くとかインターネットで検索するしかありません。

決して健康的ではありません。なぜかというとお子さん達がポルノに向かう典型的なパターンであるからです。

性に対する疑問よりも興味の方が強いからです。

親が話さないと性とは話してはいけないものなのだ触れてはいけないものなのだと受け止め、自然と恥ずかしいもの暗く秘密めいたもの。怖いものだというネガティブな歪んだ概念が刷り込まれてしまうということです。


お子さんがポルノで悩んでいるのなら、一言、言ってあげてください。

「お前だけじゃない」と。この一言でどれほど救われた気持ちになるかポルノで悩んできた人にとっては魔法のような言葉です。


ハイヌーンでは5つの美徳を教えています。

正直

神様の恵み

インテグリティー、

アカウンタビリティー、

勇気の5つです。


皆さん、これは大人だけのものではありません。ポルノを克服したい人だけのものだと思っておられると思っておられるでしょうが

とんでもないです、これこそ思春期の子供達の

人格、人徳、宗教心を育んでくれるものなのです。

子供の頃から影のない生き方の大切さを教えてあげるべきです。

純潔の大切さを言って聞かせるだけでは不十分です。悪に向かわせない悪に傾かない良心を育ててあげることも大切です。

真理と聖霊とは教会だけの事ではありません。

家庭の中にこそ真理と聖霊に満ちた家庭を築いていかないといけません。

これら5つの美徳。人生の5本柱と呼んでもいいです。皆さんなりに工夫し噛み砕いて分かりやすく繰り返し教えてあげたら思春期を意義深く通過し立派な大人へと成長していく礎となるでしょう。


私たち家庭連合の優秀な子供達、ここでいう優秀とは単に勉強ができるというだけではありません。

人格、人間性、宗教性も含まれます。優秀な子供達に一つの共通点があります。

それは、何事にも一生懸命、打ち込み、手を抜かない、ということです。

努力を惜しみません、勉強、クラブ活動、教会活動、遊びもです。なんでも100%完全投入します。

100%の力を出し尽くすので自分の選択に後悔しません。失敗や成功すべての行動から学び成長し続けようとします。

たとえ挫折しても折れない心の強さ、物事を最後までやり遂げる意志の強さ、コツコツと努力を積み重ねることで、さらに大きな目標に向かうチャレンジ精神を身につけます。

このような子供達は親から勉強しろ、教会に行きなさいと言われなくても自主的に勉強し教会活動にも参加します。

大人になっても誰かに言われなくても努力し自らを磨き続ける人間になれます。

「非認知能力」と呼ばれるものがあります。

これは数字では現せない人生に欠かせない能力のことです。やる気とか根気強さ、深い思考力、コミュニケーションといった能力のことです。

学力が高い以上に子供達が将来、成功するために幸せになるために欠かせない能力です。

ではどのようにして身につくことができるのでしょうか?思っているほど難しくはありません。良い習慣を身につけることです。


今、現在の皆さんは今までの習慣の結果であるわけです。考え方、価値観、性格、好み、体型などは長年の年月の積み重ねの結果なのです。


皆さんは鍾乳洞にいったことがありますか?

石炭を含んだ水が天井から落ち沈澱され積み重さなったのが鍾乳石です。

習慣とは鍾乳石のようなものです。


特別なことをする必要はありません。

一つでいいですから長所を見つけその長所を伸ばす習慣を身につけることです。


吉田松陰は松下村塾で1年間教えただけでしたが約80人いた塾生を素晴らしい人財に育てました。

特別なことを教えたわけではありません。

ざっくりと一言で言うと「長所を見つけ誉めてあげ伸ばしてあげた」それだけです。


どんな人間にも必ず、その人にしかない長所があるはずです。思春期の子供達は自分で見つけることは困難かもしれません。親が見つけてあげてください。

そしてその長所を伸ばせるような習慣を身につけられるように共助し励ましてあげてください。 

皆さんは毎日、欠かさずに歯を磨いているはずです。小さい頃からの習慣です。

自分から始めたのでなく親からうるさく言われいつの間にか習慣になったのだと思います。

ある二世の子は起きたら必ず御父母様のお写真に向かって敬礼を捧げています。

親から習慣付けられ20年以上、今でも欠かさずに続けています。


今回、思春期についてお話しされてもらいました。

思春期を木にたとえると小さな苗木が育つようなものです。しっかりと根を育てる事が大切です。土と根との関係が親と子の関係と同じです。

先ほど優秀な子の話をしましたが子供達は生まれながらそうなのか?決してそうではありません。

まさに土と根の関係なのです。親によってしっかりと根が育てられたのです。

ただ言うだけの親でなく良き見本となり一緒に泣き一緒に喜び一緒に汗した親なのです。


木が育つ過程で嵐がやってきます。それが思春期です。

土と根がしっかりしていれば親と子の関係が信頼と愛情でしっかりと結ばれていれば嵐を乗り越えさらに大きな大木へと成長し続けます。

お子さんだけではありません。

親としても人間として成長しさらに強い神社のしめ縄のように最強の絆が結ばれます。

だからこそ思春期は子供達だけでなく親にとっても神様からの贈り物なのです。


私は蓮の花を見ると罪悪世界に生きる祝福の二世達を連想させられます。蓮の花は泥水、泥沼に育ち美しい花を咲かせます。

蓮の花を見て罪汚れた世の中であっても清く美しく生きる祝福二世達を思い描きます。

そんな子ども達をご覧になられる天の父母様はどのような、ご心情でしょうか?

以上です。

どうもご清聴ありがとうございました。

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