ウェビナー #27 : 正午定着と伝道

伝道において、影のない正午定着の生き方がなぜ重要なのか、講師の宇山護が話します。

「正午定着と伝道」

今回のテーマは伝道です。

ハイヌーンと関係ないじゃないかと思われるでしょうが

実は大いに関係あります。私達の信仰生活に影があっては、どんなに精誠条件を積んだとしてもどんなに実力があったとしても人を導くことも活かすこともできません。

伝道だけではありません。たとえどんなに素晴らしい講義や説教をしたとしても同じことが言えます。人を復活させ命を与えるとこができません。


1949年イギリスのスコットランドにあるへブリディース島

で歴史的な大リバイバルがありました。

3人の老姉妹から始まりスコットランド全体に広まりイギリス全土に更にはヨーロッパへとリバイバルの嵐が広まりました。

そのリバイバルの中心的、牧師であったダンカン キャンベル牧師がリバイバルについてこう言っています。

「リバイバルには聖さが不可欠です。もし聖さが欠けるならば誰も主を見ることはできません」

リバイバルとは覚醒するとか復興するという意味です。

伝道は新しい命と人生の復興です。伝道はまず自分自身を伝道することだと言います。

正午定着とはまさにリバイバルといえます。



今回は私が日頃、伝道について考えている事、体験した事をシェアしたいと思います。

みなさん一人一人が導かれた背後には私たちが知らない神様の涙嘆き真の御父母様の血と汗と涙、霊の親や周りの兄弟姉妹の涙、葛藤、犠牲、祈祷、精誠があって私一人が復帰されたのだということを認識していただけたらと思います。

“プライベートライアン”という実話に基づいて作られた映画があります。私はこの映画にとても感動して数回観ました。

第二次世界大戦中にノルマンディー上陸作戦に参戦した4人のライアン兄弟の上の3兄弟が戦死しました。その報告が参謀本部へ報告されます。すると参謀隊長は6人からなるチームを編成しライアン兄弟の末の弟を探し出し本国アメリカに帰還させるよう命令します。

悪戦苦闘の末やっと見つけ出しますが彼は前線で戦う戦友達を見捨てることはできないと命令を拒否し前線に残り戦い続けます。

結局6人のうち4人が戦死します。1人を救出するために4人の命が犠牲となったのでした。

この事は私達一人一人にも同じことが言えるのではないでしょうか?


私は20歳で献身しまして献身することを両親に話す為に田舎に帰った時にこんな話を聞かされたました。

私には航海士になった従兄弟がいました。その従兄弟はある客船で働いていたのですが航海中に乗客が海に落ちる事故が起こりました。従兄弟は海に飛び込み救出はできたのですが帰らぬ人となりました。私はこの話を聞かされ、彼は自分のために犠牲となったのだと思わされました。いい加減な気持ちでは献身なんてできないと自分自身に言い聞かせました。



それでは本題に入ります。

刑務所には独房という特別な部屋があります。

畳3畳くらいの部屋に布団とトイレに洗面所そして小さな窓があるだけです。そんな独房に1っ匹のハエが舞い込んできたとしたらどんな気持ちでしょうか?いつもなら殺そうと追いかけ回るのですがたとえハエでも嬉しいはずです。

ではゴキブリが目の前に現れたらどうでしょうか?

いつもなら5秒以内には殺されています。

でもたとえゴキブリでも可愛くてたまらないと思います。

今度は1匹のネズミを見つけたらたまらないですね。ペットのように可愛がるのではないでしょうか?

気がついたら床に小さな花が咲いているのを見つけおまけにどこからきたのか蝶々が舞っていたらもう独房にいることを忘れてしまうのではないでしょうか?

このように私達人間は愛する対象を通して喜びを味わうことができます。

ですから我が子が産まれた瞬間や孫が産まれた瞬間に最高の喜びを体験することができます。

私達の信仰生活で何が喜びであるかというと霊の子を復帰した時

した時ではないでしょうか。全ての苦労した事が報われる思いがします。


伝道というとみ言葉を伝えてメンバーを増やし教会を発展させるとか霊の子を作ることだけと思いがちですが伝道を英語でWitnessと言います。

Witnessとは証人とか目撃者という意味です。裁判所の証人や国会の証人喚問とか結婚の証人も同じです。では何の証人でしょうか?

エホバの証人ってありますね。ものみの塔とも呼んでいますが

エホバの証人を英語読みでjehova’s Witnessesと言います。

エホバつまり神様の証人です。

使徒行伝1:8にイエス様が弟子達に語ったこんな聖句があります。“聖霊があなたがたに降る時あなたがたは力を受けてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土さらに地の果てまで私の証人となるであろう”

クリスチャンにとっての伝道とは神様とイエスキリストを証人することが伝道なのです。

当然、私たちは天のご父母様、真のご父母様を証し証人する者と

ならなければなりません。



私が献身して2、3年の頃に1800双のお姉さんから聞いた証

なのですが私が今日までみ旨を歩む動機づけとなりみ旨を歩む支えとなっている内容ですのでシェアしたいと思います。

真のお父様と数人の幹部のかたが刑務所に拘束された時の話です。ある幹部の方が尋問を終え自分の部屋に戻ろうとしたら

部屋を間違え偶然お父様が拷問を受けている現場を目撃してしまったのでした。その方はお父様の姿をご覧になりこの姿こそ神様の6000年の姿だと悟りこの人に生涯ついて行こうと決意されたという証でした。



私が献身して9ヶ月後にこんな体験をしました。

当時、万物復帰で毎日、朝早くから夜遅くまで歩んでいました。

私はあんまり実績はいい方ではなかったのですがその日は特に厳しく午前中で200円くらいしか作れませんでしたがそれでも一生懸命歩みました。あまりにも厳しいので私は立ち止まり空を仰ぎながら神様に対して最初で最後の文句を言いました。私は毎日毎日どんなに厳しくても感謝して懸命に歩んできました。でもこれは何ですか

これはあまりにも酷すぎませんか。すると

私の中に込み上げてくるものがありました。そうかこれが神様の復帰の心情なのだと思った瞬間私は嗚咽して泣き崩れました。

その後しばらく歩みましたが報告する時間の時に場所を変えて欲しいと中心者にお願いしたらこれから迎えに行くからそこで待っているように言われ待つ事になりました。

ちょうど4月のポカポカ陽気で近くに青々とした芝生があったので横になって待つことにしたのですが1分後には眠ってしまいました。その時感動的な夢を見ました。

真のお父様が私を強く抱きしめてくださる夢でした。

場所を移って最初に入った文房具屋さんが全部買ってくれました。私は1976年の7月に献身しましたが私の信仰生活は9ヶ月後のその日から始まったと思っています。なぜならその日に神様の心情を知ることができたからです。

神様の証人とはまず神様を体験する事です。神様の心情を知る事です。人から聞いたからとか講義で聞いたからとかでなく自分で体験する事です。ですから伝道はみ言葉を伝えメンバーになったから終わりではないのです。メンバーになったあとも続くのです。その人が神の心情を体験できるまでです。その瞬間から本来の信仰生活が始まり神様と永遠の絆が結ばれる瞬間でもあるからです。このことが神様の証人として神様を体験し神様と出会い神様の心情を知り人々に証しする証人、目撃者になる事です。


1946年真のお父様は北韓の大同保安署に拘束され103日間来る日も来る日も残虐な拷問を受けられ半死の状態で釈放されました。奇跡的に回復されたのですが新しいゲストが来ればゲストのために断食し信者の方達が強く止めても聞かず血を吐きながらみ言葉を語り続けられたお父様でした。

なぜお父様はそこまでされたのでしょうか?

お父様はこうおっしゃっておられます。

“今日まで神様がどれほど人類を愛してこられたのか、神の息子、娘達を探してこられたのかを知ったからです。そしてそのことを人々に教え伝えたかったからです”。

このみ言葉に伝道の本質が集約されているのではないでしょうか。



あと3っつほど伝道に関して大切だと思うことをお話ししたいと思います。

お父様は伝道の40%は霊界であるとおっしゃっています。

ここでいう霊界とは霊界を動員できる霊的条件、精誠条件だと言えます。

聖パウロがダマスコで復活したイエス様と出会い改心しました。

あれほどクリスチャン達を無謀に迫害したパウロです。

なぜイエス様はパウロを選んだのか?なぜパウロはイエス様と出会うことができたのか?優れた人材だったのかも知れませんがそれだけではないと思います。

私はクリスチャン自身の迫害や殉教が霊的条件となりパウロという義人が導かれたのだと思います。

お父様が興南から奇跡的に解放されたのはお父様がメシアであるからでしょうか?お父様ご自身が2年8ヶ月の期間、生死をかけた霊的条件があったからこそ奇跡が起こったのだと思います。

しかも興南では囚人同士の私語、会話は厳しく禁じられていました。それでも夢を通して12人が伝道されるという役事がありました。



今回の祝福式でのお母様のみ言葉です。「天は国連の16カ国を動員して韓国動乱に投入し南の民主主義を守られました。その時16カ国から参戦した兵士の年齢は20歳未満でした。世の中でも一番純粋な人々でした。彼らが摂理の完成、天の父母様の夢を成し遂げなければならない真の父母、独り娘が生きて天の父母様の夢を成し遂げて差し上げるために、この地に血を流しました。

自叙伝に書かれてあるようにお母様も死と隣り合わせの中を奇跡的に南へと降る事ができました。お父様とお母様を守る為に若い多くの命が犠牲となりました。



「伝道は第二の私を創ることである。母が子供を産んで育てるように誠を尽くせば問題ない事である」というお父様のみ言葉があります。皆さんも霊の子を伝道した時に断食や水行などの条件を立てたはずです。皆さんの霊の親も皆さんのために懸命に条件を立てられたはずです。


実際にあった証をシェアしたいと思います。これは私たちの教会でなくキリスト教会での証です。アメリカでなく日本の教会です。日本にある有名な牧師がいました。その牧師の説教はとても力強くとても深く聞くものを感動させ参加者のほとんどが聖霊に満たされ深い恩恵を受けました。

ところがある礼拝から突然、聖霊の役事が止まってしまったのでした。牧師が手抜きをするようになったのか傲慢になってしまったのかそんなことはありませんでした以前と同じように力強く深い説教なのです。その牧師は悩みます。悔い改めました。でも原因がしばらくわかりませんでした。

そして1つの事実を知らされたのでした。それは1人の信者のことでした。その信者とは80歳のお婆さんでした。

そのお婆さんが最近亡くなっていたのでした。お婆さんが亡くなって以来、礼拝での聖霊の役事が止んでしまったことを知りました。そのお婆さんは毎週日曜日に礼拝が始まる4時間前に教会に来てまず教会の清掃をして牧師のため信者のために祈っていたのでした。けして牧師に実力があるからでも素晴らしい人格者でもなく1人の無名なしかも80歳のお婆さんの精誠が教会全体に恩恵をもたらしていたのでした。

お父様のみ言葉に“見えない至誠を尽くすことが大切です。1人山に残り涙を流し天のために嘆くその人は世界の平和を讃える人よりも、もっと深刻な人です。そうゆう人が最後まで残る人です。そうゆう人が神様の宝となるのです”


私ごとでしかも古い証で恐縮なのですが私が経験したどう見ても霊界としか思えない体験ですのでシェアしたいと思います。

私は日本で10年間歩みましたがほとんどが事業部でした。

古い方はよくご存知だと思いますが当時は印鑑を販売しお客さんを霊石の壺展に招待していました。

私はある展示会に8人のゲストを動員することができました。

明日から展示会という前夜、私は就寝前に頭から布団をかぶりゲスト1人1人のために祈りました。祈っているとなぜか泣けてきてしばらく布団の中で嗚咽して泣き続けました。

そして翌朝さっそくゲストから電話が入りました。私はキャンセルだと思い暗い気分になりました。話を聞くと昨夜、急に体調が悪くなり今。病院に来ていて今日は行けません。やっぱりキャンセルだと思ったら次に言葉に驚かされました。

霊能者の先生にお会いできないのは残念です。でも、もしも霊石が授けられるのでしたら、ぜひ授けてほしいというものでした。

普通でしたら粘って粘って説得し続けるのですがその人は話を聞かずに自分の方から授かりたい言ってきたのです。

私はさっそく病院に行き金額を決め契約書も書いてもらいました。同じ展示会でもう1つ証があります。その方は350万

が全財産だと思って350万の霊石を授かって家に帰りました。

すると家から電話がかかってきました。私は再び暗い気分になりました。気が変わったなキャンセルだなと思ったのですが話を聞き再び驚かされました。家に帰って通帳を確認したら150万余分がありましたから、これも捧げさせてくださいと言ってきたのでした。結局8人のうち3人が教会につながりました。

私の命に変えてもこの人たちが救われますようにと布団の中で嗚咽して祈ったこととメンバー達全体の精誠条件がこのような証

を与えられたのだと思います。


次に大切なこととしてお話ししたい事は人間性、人格についてです。真理を伝え希望を与え新しい人生へと導こうとするのに暗い顔で不幸を絵に描いたような顔をしていたら誰も話を聞いてみたいとは思いません。例えばカップルカウンセリングの先生ですという人が今まで3度離婚していますという人を信頼できますか?

予備校の先生です。合格率100%です。内訳を見たら誰もが入れるような大学の合格率だったら行きたいと思いますか?

依存症のカウンセリングをしている人が実はパチンコがやめられずにいます。という人からカウンセリング受けたいとは思いません。このように人格伝道には実績が必要なようです。かと言って特別なことではありません。一言で言えば信頼されるような人間性です。


神様は時にミステリアスな導き方をされるというます。理不尽なメディア、マスコミ、政府からの攻撃の中でもポジティブな弁護士、牧師、ジャーナリストや政治家が現われサポートしてくれています。皆さん口を揃えて家庭連合の人たちと何人か会ったが一人も悪い人間はいなかったと言っておられます。

福田ますみさんという方は安倍元首相が暗殺される以前に世界日報の方にインタビューをした時にとても良い印象を持たれマスコミ騒動がおこったときに家庭連合に興味を持ちレポートを書くようになったと聞いています。神様がミステリアスな方だと思えるのは一連の迫害がなかったらこのような著名な人たちとは全く縁がなかったからです。


聖フランシスコは伝道活動はしませんでした。伝道をせずいつも奉仕活動だけをしていました。ある日弟子の一人が聖フランシスコに尋ねます“先生どうして私たちは他の教会のように伝道をしないのですか?聖フランシスコの答えは”伝道というのは口でするものでない、あなたの行いや人柄が人々を導くのです“。そうやってカソリック教会では最大の教団へと発達したのです。


イエス様が亡くなって200年後の話です。イスラエルに居たローマの兵士や学者はローマに帰ると王様にクリスチャンについて報告した書簡が今も残っています。

こんなことが書かれてあります。

「クリスチャン達は神をよく信じ神についてよく理解している。彼らはとても純粋な心をもち高潔(気高く、汚れがない)で女性は美と貞操を守り父と母をよく面倒を見る。信者同士お互い助け合いあって生きている。例えば信者が信仰的理由で刑務所に入ってもお金を出し合って信者を刑務所から釈放してあげたりしている。困ったこと、辛いことがあるとお互いが支え合い助け合って生きている。彼らはお互いを兄弟姉妹と呼び合っている」

このようにとてもポジティブな報告が書かれていました。実際ローマ兵の中にはクリスチャンに感銘を受けクリスチャンになった兵士は少なくはありません。

392年にローマの国教に至るまでに、このような報告、証しが根底にあったのだと思えます。

今、私たち家庭連合のメンバー一人ひとりが全く同じ立場にあるのではないでしょうか?冒頭でお話しした著名な方達が家庭連合をサポートしてくれているのはただ単に理不尽だからだけではないと思います。皆さんに出逢い感銘を受けるものがあったからではないでしょうか?いずれにしろ今こそ私たちの信仰の真実が問われる時である事は間違いありません。伝道とは人を導くだけではなく社会に世の中に証し証人として証明する事でもあると思います。


ある1800双の先輩の証です。その方は今は九州に住んでおられますが長くニューヨークに住んでおられました。

アメリカでは万物復帰で夜バーに行って万物復帰をしていました。あるバーに入って万物を売っているとあるお客が「お前はムーニーか?」と聞かれました。「彼はそうです」と答えると「レバレントムーンは元気か?」と言い「俺はレバレントムーンとダンベリーで一緒だった。あの頃が懐かしい、刑務所だったが毎日が楽しく天国のようだった。レバレントムーンは偉大な人物だった。今は出所したがもう一度あの頃に戻りたい」と話してくれたそうです。

私はこの話だけでお父様を理解するのに充分です。


最後に実際会った宣教師の話をしたいと思います。

パットロバートソンという有名なテレビ伝道師がいたのですが

彼の700クラブという番組を見ていたらこんな証をしました。

ある教会で3人の優秀な若者を選びペルーに宣教師として送りました。3人とも新婚で結婚したばかりだったので奥さん達も一緒に宣教師としていくことになりました。ところが現地に着いて数週間後に悲劇が起こりました。3人の夫達が原住民によって殺さたのでした。


3人の妻達は一旦アメリカに戻り落ち着いてから再びペルーに戻り宣教活動を再開しました。彼女らは原住民の女性や子供達を中心に髪の毛を切ってあげたり調理を教えてあげたり英語を教えてあげたりしながら原住民の中に浸透し結局90%の原住民がクリスチャンになったという証でした。


この証から私たちは何を学ぶことができるでしょうか?

まずは3人の夫達が犠牲となったことは蕩減条件、供え物、捧げ物になったと言えます。


次に彼女達は諦めなかったと言う事です。普通だったら宣教?とんでもないです。宣教に行かなくて良い充分すぎる理由があるにも関わらず再びペルーに向かったのでした。

成功できない、何かを達成できない、ポルノを克服できない一つの理由に諦めてしまうことが挙げられます。なぜ諦めるのか?

失敗と挫折の繰り返しだからです。歴史に名を残した人たちの成功物語を読んでみるといいです。失敗、敗北、挫折や刑務所暮らしなどのオンパレードです。

アメリカのゴールドラッシュの時の実話です。ある青年が金を掘り起こそうとしたのですが掘っても掘っても金脈に当たらず結局その青年は諦め鉱山を売り渡します。新しく鉱山のオーナーになった人は30センチ更に掘り起こしたところで大きな金脈を見つけたのでした。私は諦めそうになるとこの30センチを思い出すことにしています。


次に3人の妻達が完全に一体化していたと言えます。

一体化はとても大切です。証を聞くと必ず出てくる言葉です。

私は一体化するということをやや違った観点で捉えています。

鳥が雛を産む前にまず巣を作る事から始めます。

ちょうど赤ちゃんが生まれる前に必要な物全て準備するのと同じです。

神様がアダムとエバを創造する前に全ての万物世界、自然界、霊界を含め環境を創造され準備されたように一体化した家族、一体化したグループ、一体化したコミュニティー一体化した教会というのは鳥が雛を産むための巣のようなものです。

アダムとエバを創造する前に創造された環境のようなものです。

ですから内外共に一つになった教会は果物や花が環境が好ければ多くの実や花を豊かに実らせ咲かせるように自然と信者が増え発展します。


もう一つ学べることは夫を殺害した原住民は妻達からすれば恩讐であるわけです。でも彼女達は恩讐を愛して許したと言えます。

証には一体化ともう一つ必ずあるのが内的勝利です。

神様という方は一生懸命歩めばたくさん条件を立てればたくさんの実績を与えてくださる方ではないようです。

内的勝利は心情転換とも言われます。内的勝利とは例えば愛せなかった人を愛して許せるようになった。この事は確かに内的勝利したと言えますが私の経験から言わせてもらうと不充分です。神様という方はそれだけでは実績を与えてくださいません。内的勝利の本質は悔い改めて打ち砕かれた心情、打ち砕かれた魂になった私自身です。

なぜならばその心情こそ嘘うつわりのない真実な心情であり神様が喜んで受け入れてくださるからです。


6000年前神様はエデンの園で「アダムよアダムよお前はどこにいるのか、アダムよアダムなんじは何処なりや」とアダムを探し求めた神様でした。6000年前のみならず6000年間今尚も我が子を探し求めておられるのが神様です。神様が探し求める我が子とはどんな人間なのでしょうか?

堕落後、アダムとエバは神様から隠れました。そしてお互いを責め合いました。私達は影があり隠しています。神様が言う「お前はどこにいるのか?」の意味するところは「真実なあなたはどこなのか?

影のないあなたはどこなのか?」ではないでしょうか?

正午定着して天の御父母様と真のご父母様を証人するものとなりましょう。

ご静聴ありがとうございました。

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